酒井法子さんの減刑嘆願にご賛同いただけましたら、下記のフォームからご署名くださいますようお願いいたします。ご署名にあたり送信いただきました個人情報につきましては、下記【個人情報の取扱いについて】に記載のとおり取り扱わせていただきます。
8月8日夜、女優の酒井法子さんが覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されました。
24日には使用容疑で追送検されています。
しかしながら、酒井法子さんには被害者の側面もあるのです。
1986年、まだ少女のころにデビューしてからずっと、周囲から求められる「清純派」としての自分と本来の自分との間で板ばさみになり、大きなストレスやプレッシャーを感じていたことは容易に想像することができます。
彼女はデビューしてから20年数年もの間重圧に耐え続け、とうとう押しつぶされてしまったのでしょう。
覚せい剤を使用することは確かにいけないことです。しかし、彼女がそうまでしなければならなかった理由があるはずです。周囲からの期待と重圧、夫との関係。彼女は現実からの逃避と、夫との関係維持のために薬物を使用し、それがいつしか常用するまでになってしまったのでしょう。
誰にでも道を誤ることがあります。彼女の場合はそれがたまたま薬物使用だっただけなのです。そしてその過ちには、彼女の家族以外に被害者がいるわけでもありません。
最近のマスメディアの報道の仕方には疑問を感じるところがいくつもありますが、今回の薬物使用に対する過熱した報道は、まるで彼女を人身御供にしているような、あるいは視聴率合戦に利用しているような後味の悪さを感じます。
酒井法子さんはこれから罪を償い、過酷な現実と向き合っていかなければなりませんが、マスメディアからのメディア・リンチともとれる個人攻撃で、既に十分な社会的制裁を受けています。
彼女は日本だけでなくアジア地域でも絶大な人気を誇り、ドラマや歌によって多くの人々を支え勇気付けてきました。これは誰にでもできることではなく、彼女が精一杯勤め上げたからこそ可能だったことなのです。さまざまな面で社会的な貢献をしてきたことを考えると、酒井法子さんは減刑されるに値する存在であると言えるのではないでしょうか?
1985年 | 10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得し、同年12月には福岡市から上京。所属事務所の社長である相澤秀禎宅で下宿生活を始めた。 |
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1986年 | 1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。 |
1987年 | 正式にレコードデビューし、若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞した。 |
1990年 | 90年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本以上の絶大な人気を誇り、中国語で歌う楽曲も発表した。 |
1992年 | 5月に行われた初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。この頃から女優として本格的に活動をはじめ、1993年に出演したフジテレビ系『ひとつ屋根の下』は、フジテレビの連続ドラマ史上最高の視聴率を記録した。 |
1995年 | 日本テレビ系『星の金貨』に出演し大ヒットとなる。同時に『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、同年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。 |
1998年 | 自称プロサーファー・高相祐一さんとおめでた婚。 |
1999年 | 7月18日、長男を出産し、1児の母となる。 |
2000年 | 産休から復帰したが、デビュー当時からの担当マネージャーだった溝口伸郎さんが自殺。 |
2003年 | ファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げた。 |
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酒井法子さんの減刑を嘆願する会事務局